カスノモーターサイクル

カスノモーターサイクルは、走る喜び、 ライディングの楽しさを提供するために、「挑戦し、創造する」精神を大切にしています。
喜びや楽しさを具現化するモノづくりへの情熱がもたらす、斬新なアイデア。
まったく新しい試みに挑戦する行動力や勇気。
カスノのスタッフたちは、現状に満足することなく、常に自ら目標を設定し、高いハードルに挑戦してきました。


創業
1972年、元ヤマハ発動機契約ライダーで現カスノモーターサイクル社長の糟野雅治、 元世界GPライダーの根本健氏、そしてジャーナリストの山田純氏によって チーム「フライングドルフィン」が結成。
京都のカスノモーターサイクルを拠点に、レース活動を行い、 その2年後の1974年2月24日、カスノモーターサイクルを創業。

糟野雅治がプレイングマネージャーの、 そしてプロフェッショナルのライダーであることで カスノモーターサイクルは独自の路線とこだわりをもって 発展していくことになります。 創業当初からYAMAHAをはじめHONDA、KAWASAKIの逆輸入車を販売。

バイクそれぞれの良さを知る糟野はメーカーに対する偏見などはなく、 「BMW」「ハーレーダビッドソン」の販売にも意欲的に取り組んでいました。
カスノモーターサイクル創業当時 店内
サイン会
常に前向きの精神で展開するカスノモーターサイクルは、 1977〜78年当時としては珍しく、スポーツバイク(CB750)を中心に展開。 それが後に来るスポーツバイク全盛期へとつながっていきました。

そして、まさにスポーツバイク全盛期の1980年代前半。
当時、世界ではじめてのモーターサイクルショー「カスノモーターサイクルショー」を HONDA、YAMAHA、KAWASAKI、SUZUKIなど四社を一堂に集め開催しました。
この世界初の試みはスポーツバイク全盛期でもあったことから バイク業界のみならず、一般社会にも大きなインパクトを与えました。 開催時に遠方からのお客様が多かったことがその衝撃を物語っています。
そして、好評を博した「カスノモーターサイクルショー」は 以降3期に渡り開催されることになります。

カスノモーターサイクルがこのような盛り上がりを見せる中、 「汚れた英雄」というレースに生命を賭ける
若きライダーの青春映画も話題になりました。
この映画にはなんとチーム「フライングドルフィン」メンバーである 福田照男氏も出演しています。
福田照男・長谷川嘉久
福田照男1982年には鈴鹿4時間耐久レースの初年度覇者でもあり、 チーム「フライングドルフィン」のメンバーである福田照男氏が 全日本選手権国際A級チャンピオンに。

さらに同氏は1983〜84年には世界選手権ロードレースGPシリーズに参戦。
また、GPの他、マン島TTやヨーロッパ各国のインターナショナルレースにも参戦。 優勝1回を含む好成績をおさめました。

同じく「フライングドルフィン」メンバーの長谷川嘉久氏は、 YAMAHAのファクトリー・ライダーとして 1985年にワークス・マシン(YZR500)を操り、 1986年にはTZ250で全日本に出場しました。
福田照男スーパークロス
1985年皇子山スーパークロスバイクブーム真っ只中の80年代中期。
滋賀県皇子山で、ある一大イベントが行われました。

それは、スーパークロス。
1985年皇子山スーパークロススーパークロスとは、アウトドアでのモトクロスとは異なり、 複雑多岐なダートコースを設置したスタジアムで行われるレース。
それが日本で初めて開催されたのです。
やはりそこにカスノモーターサイクルはいました。
しかもUS YAMAHAのプライベート・チームのサポートとして。
この時US YAMAHAは皇子山スーパークロスの優勝を 手に入れることになります。

これを期に、87年まで大阪南港などで行われた スーパークロスに参戦するUS YAMAHAのトータル・サポートを カスノモーターサイクルが勤めることになりました。
AELLA誕生
Buell90年代に入ると、 レース活動を行ううえで カスノモーターサイクルの抱えている問題が表面化しました。
それは、「求めているパーツが存在しない」ということでした。
そして、この問題を解決するために出した答えが
「自分たちで創る」 ことでした。

レースを通じて培ってきたノウハウを一般ライダーへフィードバックさせ、 日本人の体型に合ったポジション、美しい仕上げと操作感をコンセプトに 「AELLA」は誕生しました。

現在ドゥカティ、ビューエルといった
趣味性の強いモーターサイクルの市場において 高いシェアを誇るパーツブランドとして広くユーザーから支持を受けています。
輸入車販売への挑戦
80年代から積極的に行っていた輸入車販売。90年前半からはビューエル、ドゥカティ、MVアグスタなどの販売に意欲的に取り組みはじめました。
輸入車販売から火がつき、1999年ビューエルでレースに参戦。
2003年からはドゥカティで参戦。
そのデータは常に「AELLA」にフィードバックされ、製品の向上を図っています。
極めつけは2002年「ドゥカティ京都」のグランドオープン。
一面ガラス張りの近代的な建物は、京都という土地もあいまって 幻想的な空間を作り出しています。
その一番奥にある「ドゥカティ・カフェ」はいわば隠れ家的な癒しの空間ともなっています。

 

DUCATI
アグスタ
そして、これから。
コミュニケーションという考え方のツーリング
コミュニケーションという考え方のツーリング
見上げる空に果てがないように、 私たちが歩む道にも果てはありません。
豊かな人生を送るためにはどうしたら良いか。
皆さんと一緒に考え、行動し、結果を出していきたいと私たちは思っています。

「モーターサイクル イズ ライフ」
バイクは人生である。

「コミュニケーション イズ ライフ」
人とかかわることで人生は楽しいものになる。

カスノモーターサイクルも、バイクも 人にとって人生を豊かにするツールであればと 常に願い、勤めています。
人が人と触れ合ってこそ 人生は豊かになっていくのではないでしょうか。
そして、人とのコミュニケーションが「未来の扉」を開き、 さらなる希望につながっていく。

私たちはこれからも進み続けます。
カスノモーターサイクルの「これから」が皆さんの「豊かな人生」、そして「希望」となるように。
糟野雅治について
糟野雅治
常識を破れ。
糟野は様々なことにおいて要求が高い。
インテリアしかり、料理もしかり。
そして当然のようにマシンに対する要求も高い。
しかしそれは彼にとってあたりまえのことであり、 必要ないものは求めていない。
それはプライベーターの時代から続く、 糟野流の考え方に基づいている。
「ないから、できない」ではなく「ないなら、つくる」。
この精神は常に前向きで、 ものの存在価値を知る糟野雅治の真骨頂である。
この精神がレースでも、事業でも結果を出してきた。
現在では「楽しむため」にレース活動を行っているが そこにはもちろんパーツ開発も含まれており、常にチャレンジし続けている。

プロフィール
糟野雅治
1949年6月生まれ
出身地:京都府
カスノモーターサイクル代表取締役


経歴
  • 1966年 レース活動開始
  • 1970年 全日本RR 250ccチャンピオン獲得
  • 1974年 カスノモーターサイクル創業
  • 1976年 本社が現在の場所に移店
  • 1980年 日本グランプリ500ccクラス出場
  • 1991年 AELLAの制作はじまる
  • 1992年 レース引退
  • 1999年 ビューエルX1 イベント・レースに再び参戦
  • 2001年 デイトナ参戦
  • 2002年 関西ではじめてのドゥカティストア
          「ドゥカティ京都」オープン